絵本の時間

幼い頃、読んでもらった絵本。内容はおぼろげになった本もありますが、忙しかった両親が寝る前に読み聞かせをしてくれる、短いけれど温かい時間は、一生の宝物です。そんな記憶を綴り、自分の子どもたちにも幸せの記憶を贈りたいと願うブログです。

すてきな三にんぐみ

すてきな三にんぐみ
すてきな三にんぐみ
偕成社

あらすじ
 どろぼう「三にんぐみ」の武器は「らっぱじゅう」「こしょうふきつけ」「まっかなおおまさかり」。黒いマントに黒い帽子で馬車を襲い、金品を奪います。こんな怖いどろぼうたちですが、ある出来事から自分たちの生きる目的を悩みます。
 ある日、いつものように馬車を襲撃したところ、金品はなく、乗客はティファニーちゃんという女の子1人。ティファニーちゃんは孤児で、いじわるなおばあさんの所に送り込まれる途中でした。奪うモノもなく、どろぼうたちは仕方なくティファニーちゃんを連れて(拉致して)隠れ家に帰ります。居心地の良い隠れ家には、宝物がいっぱい。
 ティファニーちゃんは3人に尋ねます。
「これ、どうするの?」
 3人は顔を見合わせました。だって、金品を奪うことが目的になってしまっていて、金品を何のために使うかなんて考えたことがなかったから。
 その後3人は、奪った金品で古いお城を買い、孤児たちを国中から集めます。孤児たちには真っ赤なマントと真っ赤な帽子を与え、立派な大人に育てました。大人になった孤児たちは結婚し、子どもを産み、村が出来上がります。いつまでも「すてきな三にんぐみ」を忘れないように、黒い帽子を思わせる塔をつくり、子どもたちに語り継ぐのでした。


絵本の思い出
 三にんぐみのお話が好きだったちびkoli。「私も赤マントほしいなぁ」と言いながら、いつも楽しそうに絵本を読んでいた小さい頃。三にんぐみのどこが好き?と聞いてみると「子どもに優しいところ」とニコニコ答えていました。
 koli次郎が一歳の誕生日、彼女はやっと乗れるようになった補助輪なしの自転車でどこかへ出かけようとしていました。
「1人じゃまだ危ないよ」と止めると、歩いて行ってくるとテクテク歩いて行きました。私はてっきり、近所のお友達の所に行ったのだと思い込んでおりましたが・・・・。なかなか帰ってきません。お友達の家に電話をして探したのですが、姿が見えず・・・・。


koli次郎は本日2度目のお昼寝中でしたが、起こして準備し、いよいよ車で探そうとしたら・・・・・。なんと、玄関にちびkoliの靴があるではありませんか!!


 ちびkoliは、自分のお部屋で何事も無かったように黙々と何かを作っています。見ると折り紙を細く切り、輪っかを作ってはつなげています。画用紙には「おたんじょび、おめでと」・・・「う」がない・・・・。 


 でも、この際どうでもいい!何事も無くて良かった~と胸をなで下ろしました。
話を聞くと、ちびkoliは持っていた貯金箱に入れたお小遣いを全部持って、折り紙やら画用紙やら、工作の材料を買いに行っていたのでした。そうなのです。koli次郎の誕生日パーティーの飾り付けをするために。


 そして、お小遣いをすべて使おうと思ったけれど、5円足りなくてクラッカーは買えなかったので少しお金が残ったよ、と得意げに話すのでした。
「なぜ、自分のお小遣いでコレ買ってきたの?ママ、一緒に行ったのに」
そう言うと、彼女はプーッとふくれて言いました。
「だって、koli次郎にちびkoliのこと「三にんぐみ」みたいにずっと「優しいお姉ちゃんだな」って覚えていて欲しかったんだもん」


・・・・?


 ちびkoliが「すてきな三にんぐみ」を読んで、一番心に響いたのは「みんながずっと三にんをわすれませんでした」の部分だったのですね。


娘のほうが、母よりもとても優しく温かな受け止め方をしていたことに気がつきました。


 すてきな三にんぐみが宝物をすべて投げ打ち、国中から賞賛されたことは三にんにとってはどうでもいいことで、愛する子どもたちの記憶にいつまでも残ったことが三にんぐみへの一番のご褒美だったのですね。


 娘ちびkoliはそれ以来、毎年家族の誕生日には、手作りの花や紙飾りで部屋を飾り、お誕生日の準備をしてくれます。そして、ちびkoliの誕生日には、ぱぱkoli、koli太郎、koli次郎、そして私がちびkoliのために部屋を飾ります。もはや、隠れて何か出来るわけでもないのですが、私たち家族のちびkoliに対する感謝や愛情が、ちびkoliの記憶にも残ってくれることを願って。

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しろいうさぎとくろいうさぎ

しろいうさぎとくろいうさぎ (世界傑作絵本シリーズ)
しろいうさぎとくろいうさぎ (世界傑作絵本シリーズ)
福音館書店

あらすじ
 広い森の中に「しろいうさぎ」と「くろいうさぎ」が住んでいます。2人はとても仲良し。馬跳びをしたり、かくれんぼをしたりして、いつも一緒に過ごしています。けれど、時々「くろいうさぎ」は悲しそうな顔をします。それが「しろいうさぎ」には、とても気がかりでした。


  ある日、「しろいうさぎ」は「くろいうさぎ」に悲しい理由を尋ねます。
 「さっきから、なにをそんなにかんがえているの?」
 「ぼく、ねがいごとをしているんだよ。」
 「ねがいごとって?」
 「いつも いつも いつまでも、きみといっしょにいられますようにってさ」
 「しろいうさぎ」は目をまん丸くして、じっと考えます。そして言います。
 「ねぇ、そのこと もっといっしょうけんめいに かんがえてごらんなさいよ」
 「くろいうさぎ」は目をまん丸くして一生懸命に考えます。そして、言います。
 「これからさき、いつもきみといっしょにいられますように!」


本当にそう思うかと2人は何度も問い直し、「しろいうさぎ」の差し出した柔らかい手を「くろいうさぎ」がそっとにぎります。
2人は耳に花を飾り、他のウサギや森の仲間に祝福され、結婚式をあげるのです。
 「くろいうさぎ」はもう悲しそうな顔はしなくなりました。

絵本の思い出
 「結婚ってなぁに?」
 末っ子koli次郎の質問。うろたえる母。どうも幼稚園で、将来〇〇ちゃんと結婚するんだなんて宣言したおませさんがいたらしいのですが、koli次郎には、よく分からなかったらしいのです。
 「うーん、結婚っていうのはねぇ」と説明しようとしましたが、すごく難しい質問です。
 自分自身が「結婚」って何かしらと、ちょっと悩んでしまいました、笑。


そのときに思い出して引っ張り出し、読んであげたのが「しろいうさぎとくろいうさぎ」です。
  読んであげているうちにたくさんのことを考えさせられました。
  「結婚」って、本当は「一緒にいたい」「楽しい」「一生懸命」「永遠」「願い」から成り立つモノなのだなぁと、思いました。もちろん「結婚」という形は絵本の中だから。いわゆる「パートナー」と結ばれる形は様々ですが、その人と一緒にいられない「さみしさ」「悲しさ」「切なさ」「不安」を乗り越えて成り立つモノなのでしょう。
  だからこそ、何度も何度も問い返し、一生懸命に考え、自分の心を見つめることなしに、関係を結ぶことは難しいことなのでしょう。
そんなに一生懸命に悩んだかな?と自分に問い返してみる・・・・・。
 その記憶すら曖昧だけけれど「この人がいなかったら、人生はひどくつまらないだろう」と感じたのは、今もはっきり覚えています。
 →詳しくは「100万回生きたねこ」をご参照ください、笑。


読み終わった後、koli次郎に結婚ってどういうことかな?と聞いてみると
「大好きな人と、ずっとずっと一緒にいるってコトでしょ。」
koli次郎なりに「結婚」する気持ちに寄り添えたのでしょう。良かった良かった。
そして、「ぼく、大きくなったらママと結婚する!」末っ子koli次郎の結婚宣言。
思わず笑みがこぼれてしまいます。
でも、本当におもしろかったのは、その後なのです。
「パパ、順番こだから、もうママと結婚やめてね。」とのこと。
おいおい・・・・( ̄∇ ̄)アハッ
ブランコの順番じゃないんだよと苦笑いするぱぱkoliを見て、また「結婚」は「楽しい」と感じる母でした。

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ぼくとかあさん

ぼくとかあさん
ぼくとかあさん
金の星社


あらすじ
熊の「ぼく」と「かあさん」は2人暮らし。けれど「かあさん」は「けっして ぼくをひとりにはさせなかった」のです。貧しいけれど、愛情たっぷりに育てられた「ぼく」。みんながかわいい長靴を買ってもらえば、「ぼく」も買ってもらえたし、早く走れる靴をみんなが持っていれば、「ぼく」も買ってもらえました。さみしがり屋で泣き虫の「ぼく」を世界中で一番優しく育ててくれた「かあさん」。
 「ぼく」は勉強を頑張り、大人になり、都会へと出て行きます。最初はホームシックになって「かあさん」に電話をするたび励まされる「ぼく」。けれど、都会の生活に慣れた頃、たびたび入る「かあさん」からの電話に、「今、忙しいから」と電話を切ることも増えた「ぼく」。「ぼく」は、都会の生活が楽しくなってきたのでした。
 「かあさん」から帰るように再三の電話があって、やっとふるさとに帰った「ぼく」は不平を言いながら家路につきます。「こんなところで、よくもそだったもんだ」といいながら。
 家に帰ると、玄関にはたくさんの靴が並んでいました。小さいモノから大きいモノまで・・・・。「さみしいだなんていって。たくさんお客さんがきているじゃないか!」と不平をいう「ぼく」。でもよく見ると、それは、「ぼく」が小さかった頃から、「かあさん」が一生懸命に働いて買ってくれた「ぼく」の靴なのでした。その時「ぼく」は気づくのです。
「かあさん」はけっして「ぼく」を1人にはさせなかった。
それなのに、
「ぼく」は「かあさん」を1人にした、と。


絵本の思い出
 私には、決して忘れられない悲しい思い出があります。それは祖母のこと。忙しい両親に代わって、時には優しく、時には厳しく、愛情をたっぷり注いで育ててくれた祖母です。若い頃教師をしていた祖母は、しっかりしているけれど、お茶目な人で、良く冗談も言って私を笑わせました。
 私は、大学生になる時に初めて、ひとり暮らしを経験しました。この絵本の「ぼく」がそうだったように、私も最初の1ヶ月は家族に会えないことが寂しくてたまらず、ホームシックになりました。けれど、友だちも出来て遊び方も覚えてしまった私は、いつの間にか「家族と会えない1日」が当たり前になっていました。とにかく、毎日が楽しかったです。
 けれど、大学3年生の秋、今まで一度も自分から電話をしてこなかった祖母が電話をしてきました。唐突に「いつ帰れる?」と聞くのです。私はちょうど新学期が始まる前でお休みだったのですが、「バイトあるから、そのうち帰る」と早々に電話を切ってしまいました。
 その1週間後、父から電話がありました。「すぐに帰れるか?」というのです。「ばあちゃん、実は1週間前に入院して、ご飯全然食べなくなった。お前が来て食べろと言ってくれたら、少し元気になるかもしれないから」というのです。私の父は、私に決して無理を言う人ではありません。だから、帰って来いなんて、私の都合も聞かずに言う人ではないのです。その時、私は悟りました。祖母は、もう生きることが出来ないのではないか、ということ。「明日帰る」と答えて、電話を切りました。何も分からないけれど、涙が溢れてきました。
 翌日、目の当たりにした祖母は、まるで別人でした。既にモルヒネを投与されており、目はうつろで、時々意識が戻ると訳が分からないことを口走ります。私は、トイレに駆け込み、嗚咽しました。本当にそうするしかなかったのです。自分の予感が当たってしまったこと、祖母は私に会いたいと思ってこっそり電話をかけてきたのに取り合わなかったこと、小さい頃祖母に遊んでもらったこと、一緒に料理をしたこと、運動会で応援してもらったこと、大学生にもなった私に小さなお財布から取り出したお札をいつも「お小遣い」といってくれたこと。頭の中をグルグル回って、どうしようもなかったのです。


 祖母は「肝臓癌」でした。腰が痛いと言って整形外科に若い頃から通っていたので、いつもの腰痛だろうとみんなが思っていたのでした。けれど、痛みがひどくなり受診したところ、すでに全身に転移しており「余命2週間」と父は宣告されたそうです。本人には知らせないことにしたと父は言っていました。でも、私は、きっと祖母は自分の死期が分かっていたのだと知っていました。我慢強い人だったけれど、どんなに苦しかったでしょう。どんなに切なかったでしょう。その壮絶な痛みの中で、入院する前日に私に電話をしてきたのです。
 あんなに愛情を注いでもらったのに、あの時初めて電話をくれたのに、きっと私に死ぬ前に一目会いたいと思ってくれていたのに、私はその愛情に応えなかった。
 罪滅ぼしのように大学を休み、毎日看護しました。ふと正気に戻った瞬間、ポツポツと話す祖母は、「学校行かなくてもいいのか?」と何度も私に尋ねました。
 いまだに思います。なんて、私は愛されていたのかということ。祖母は余命宣告の時間を遙かに超え、2ヶ月の間、私をそばに置いてくれました。


 私は、父にまだ祖母が自分の死期を悟っていたということを話していません。祖母が亡くなってから20年も経つというのに。祖母からの電話のことは話せずにいます。多分、これからも話さないでしょう。父は祖母に死期を悟らせずに眠るように逝かせてやれたことに疑いを持っていないからです。そうしてあげたかったのは、父の祖母に対する愛情。だから、そう信じさせておきたいのです。


 これも私の父に対する愛情。


 愛とはつらいモノだなぁとつくづく思います。そして、愛は学ばなければならないモノだなぁとも思います。私は二度と取り返しが付かない失敗から、学びました。それは「私は家族に愛されていて、私は家族を愛している」ということ。「今日が最後のように大切に生きる」ってコト。そして、「その会話がその人との最後の会話かもしれない」というコト。大げさだけれど、そう分かっていたら、きっと、私はあの時の祖母の電話に別の言葉を返していたに違いありません。


 「祖母は、私を決して1人にはしなかった。それなのに、私は祖母を1人にした」


この絵本は、私のつらい思い出を呼び起こし、「1日1日を大切に生きなさい」と思い起こさせる絵本なのです。

私には家族以上に大切なモノはないと気づかせてくれる絵本。
困ったなぁ。泣けてきました・・・。


最後に麻央さんのご冥福をお祈りします。
私も麻央さんのように「愛」を伝えることのできる人生を歩みたい。


悲しい気分になり、今まで誰にも話したことのない思い出を長々と書きました。
とりとめなくて、申し訳ありません。
そして、私の懺悔を最後まで読んでくださった方ありがとうございます。

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