絵本の時間

幼い頃、読んでもらった絵本。内容はおぼろげになった本もありますが、忙しかった両親が寝る前に読み聞かせをしてくれる、短いけれど温かい時間は、一生の宝物です。そんな記憶を綴り、自分の子どもたちにも幸せの記憶を贈りたいと願うブログです。

わたしのせいじゃない

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)
わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)
岩崎書店

あらすじ


あるクラスで休み時間に事件が起こります。男の子がみんなの前で泣いています。みんなが話しています。


「学校のやすみじかんに あったことだけれど わたしのせいじゃないわ」


「はじまったときのこと みていないから どうしてそうなったのか ぼくはしらない」


「おおぜいでやっていたのよ ひとりではとめられなかった わたしのせいじゃないわ」


「おおぜいでたたいた みんなたたいた ぼくもたたいた でもほんのすこしだけだよ」


「はじめたのは わたしじゃない ほかのみんながたたきはじめたのよ わたしのせいじゃないわ」


「自分のせいじゃないか その子がかわっているんだ ほかの子はみんな ふつうなのに」


「考えることがちがうんだ ぜんぜんおもしろくないんだ 自分のせいだよ」


「先生に いいつければいいのに よわむしなのよ わたしにはかんけいないわ」


「たたいても わたしは へいきだった みんなたたいたんだもの わたしのせいじゃないわ」などなど。


最後に


「・・・・私のせいじゃない?・・・」の問い。


そして、説明のないモノクロの写真が続きます。


★原爆のキノコ雲


★飢餓で苦しむ子ども


★紛争に巻き込まれ傷つき兵士に抱かれる小さな子


★タンカーの重油にまみれた海鳥


★ゴミの埋め立て地


★少年兵

絵本の思い出
この本は、私の絵本でした。大人になって購入したのですが、koli太郎といっしょに読んだのは、中学校3年生の春。
何かが響いたのでしょう。私の本棚からこの絵本を抜き取り、夕食の席に持ってきました。
「これ、どう思う?」
どう思うって、何を聞いているのかなぁ。
すると「私のせいじゃないワケないと思うんだよ」と。
koli太郎曰く、いじめをする人はもちろん悪いけれど、それを黙ってみたり、笑ったりして赦される雰囲気を作っている人も悪い!むしろ、「わたしのせいじゃない」って思ってる分絶対罪は重い、と言うのです。
「ぼくは、小さい頃ヒョロヒョロでいじめられてたでしょ。そのとき、いじめられる方にも理由があるって言った人がいたんだよね。すごく、中立みたいな顔して。全然中立じゃないっつーの。むしろ、いじめてるでしょって思ってた。」とのこと。


相当悔しい思いが蘇ってきたのだね。
母は、koli太郎の話に興味津々。「うん、うん。」と頷きながら話を聞きます。とても難しい本だけれど、彼なりに何か引っかかって考えたから、話したくて仕方ないのでしょう。


話はどんどん壮大になっていきます。
「戦争だってさ、戦争してる国は悪いけれど、使う武器を売って設けてる国だって悪いよ。飢えて死ぬ子どもだって、ぼくは知り合いでもないけれど、でも、無関係だっていうのは違うと思うんだ。だれかが、助けようって思わなくちゃ。「関係ない」って考えるのは、何か納得いかないんだよ。」と。


・・・・・・・。どうしたkoli太郎?こういうのが、中学生の正義感?
絵本の中の出来事が、すっかり「自分事」になっています。


「でも『いじめ』も『戦争』もおそらく無くなることはないんだろなぁ」と話し始めました。みんなが「悪い」って分かっていても、なくすことが出来ないもの、と。
うーんっと悩むkoli太郎・・・・。1人悩みの溝に落ちてしまい、「勝手に」答えの出ない問題に悩んでいます。


母はとても嬉しくなりました。なぜなら、私も同じような気持ちになり、答えがよく分からなかったもので、絵本を購入し、「いずれ、分かるときが来たら分かるだろう」と放っておいた本だったからです。今がその時なのかも、と思いました。


それで、私も一緒に悩んでみました。「火事ってきっと、無くならないよね。なのに命をかけて消火活動してくれる消防士さんや消防団の人がいるじゃない?」と話してみました。
極端なことを言えば、火事はなくならないのだから、いっそ、命をかける必要があるのだろうか?警察官だって、国連だって、「無くせない」と分かっている何かに取り組んでいるわけです。生徒会が『いじめ撲滅』に取り組むのだってそう。


koli太郎は、言いました。
「なくならないって分かっていても、なくしたいって思うから努力するんだよ。」


みんなの、誰かの幸せを妨げるモノを無くしたいって思い。
事故ではなく、故意に悪意を持って、いや悪意すら持たずに誰かを傷つけてしまうことは多々あります。
私にも覚えはあり、悪意がない時ほど、私はとても傷つきました。なぜなら、相手が私が傷つくことを全く理解していなかったと言うことが、はっきりと分かってしまうから。
こんな時って泣くに泣けない・・・。


でも、大げさな話ではなく、koli太郎が言うように、「なくしたいって思うから努力する」ことをあきらめたら、いかんなぁと思いました。私も逆の立場で人を無自覚に傷つけ、幸せを損ねたことがあったかも。いや、あったにちがいない。


きっと人を不幸にする出来事はなくならないけれど、それをなくそうと小さな努力を積み重ねる人の想いに気がつくことの出来る私でありたいと強く思いました。


koli太郎は、さらに言いました。
「でもね、赦すって必要だと思うんだよ」
と。
「辛くて悔しい思いしてもね、自分がずっとそう思ってたら、幸せじゃないから」
と。


今現在、この出来事を思い出すと「赦す」という言葉が、母の胸に突き刺さります。
「赦す」・・・・。


私は最近、ある出来事があり、気分が沈み、体調不良が続き、もう温かい気持ちで記事は書けないのではないかと思っていました。
「赦す」・・・・。


koli太郎との会話を思い出し、立ち止まります。
「幸せ」になる・・・。


私にとって「赦す」ことは、今すぐには難しそうです。けれど、その行為無くしては私の「幸せ」はないのは事実かもしれません。


「赦す」という言葉に、ひどく動揺してしまいます。
私も、多くの人に自分が気がつかないところで赦されてきたのではないか?
もし、そうだとしたら、私が「赦す」努力をすることが出来ないと拒否してしまうことは、自分の人生を恐ろしくつまらないものにしてしまうのではないか?


過去の一瞬の、たかが「絵本」を通しての息子とのやりとり。
あの時は絵本の中身を息子よりは理解していると勘違いし、私の人生に突き刺さりはしなかった絵本。
けれど。
けれど、もしかしたら、その一瞬の会話は、今の私の生き方を支える大きな意味のある一瞬だったのかもしれない。


母は、いまだに悩んでいます。
前に進めないまま、立ち止まり、あの一瞬を振り返っては、ため息をついています。
「赦す」・・・・。

子どもたちに幸せの記憶をおくろう

                                                                

★しばらくお休みしておりましたが、ゆっくり再開しようと思います。
 再び、よろしくお願いします(o_ _)o  by kolibri



当ブログはランキングに参加しています。
ポチッと応援よろしくお願いします(*・ω・)ノ

にほんブログ村



にほんブログ村