絵本の時間

幼い頃、読んでもらった絵本。内容はおぼろげになった本もありますが、忙しかった両親が寝る前に読み聞かせをしてくれる、短いけれど温かい時間は、一生の宝物です。そんな記憶を綴り、自分の子どもたちにも幸せの記憶を贈りたいと願うブログです。

ぽんぽん山の月

ぽんぽん山の月 (えほんのもり 7)
ぽんぽん山の月 (えほんのもり 7)
文研出版

あらすじ
 子うさぎたちは、おかあちゃんの帰りを今か今かとお腹を空かせて待っています。
ぽんぽん山に月が昇りました。
すると、お月様の中にお母ちゃんがいるではないですか!
「お母ちゃんだあ」
子うさぎたちは月の中に見えるおかあちゃんに話しかけます。
「おかあちゃん、おりといでよ」
「ぼくたち、おなかがすいたんだよう」


このやりとりをこっそり見ていた恥ずかしがり屋の山姥は、ため息をつきました。
町に行ったときに猟師に撃たれたうさぎを見たのです。
山姥は、しっかり抱えていただ団子の包みを置き、夢中で逃げ出しました。


 この山姥を木の上から見ていたのは秋風の子でした。
秋風の子は、恥ずかしがり屋の山姥が何度も団子屋の前を行ったり来たりして、やっとの思いで手に入れた団子のコトを知っていました。「それなのに・・・」風の子は風に乗せて子うさぎたちの話し声を山姥に届けます。
「ああ、おいしい」
「おかあちゃんが月からおろしたんだ」
山姥はよかったよかったと頷き、帰ります。


 このやりとりを全て見ていたのは十五夜の月です。月は優しくみんなを照らします。
「気をつけておかえり。みんなぐっすりと寝て、いい夢をごらん」
 

絵本の思い出(といっても昨夜ですが・・・)
「ママ、koli次郎勉強の邪魔する!!何とかしてっ!」
コレ、kolibri家で最近増えつつある会話です。
そして決まって「えーん」とkoli次郎の泣く声がします。


 母は最近全く読み聞かせをしていませんでした。koli太郎の受験やその後の手続きや4月の授業参観、PTAの会議なんかにかまけて。でも、ずっと最近増えつつある会話が気になっていたのです。
  koli太郎は、この春志望校に合格し、高校生になりました。届かないのではないかと、人生で一番悩み、努力した結果つかんだ『合格』です。何度も、なりたい自分になることは難しいのではないかと泣きました。「もう、男の子なんだからさぁ。」ちびkoliがぼやくのもそっちのけで、何度食卓で泣き、励まされ、「やっぱりやるしかないんだな」と思い立ち、明け方まで勉強するという日々。まるで、家族全員が消耗戦のような1年でした。今、koli太郎は始発電車で高校に通っています。自宅から離れている高校なので。そして、午後7時~8時に帰宅する毎日です。夜8時を過ぎるとkoli次郎は眠くなってしまいます。けれど、koli太郎の帰りを待って、家族全員で夕飯をいただきます。夕飯の時間が唯一家族全員そろう貴重な時間になりました。昨夜、本当に久しぶりに早めに全員がそろいゆっくり夕食をとることが出来ました。それで、「ぽんぽん山の月」をkoli次郎に読む体で、読み聞かせすることにしました。
 「いいお話だね」koli太郎が言いました。
 「なんで、そう思うの?」母は聞きました。koli次郎も久しぶりにkoli太郎とちゃんとお話しできるのが嬉しそうです。
 「なんでかなぁ。みんなわざわざ『やってあげたよ』って言わないで、ただ相手を思いやっているところかなぁ」


 母は、koli太郎に話しました。
「今〇〇駅に着きました。お風呂沸かしておいて」
コレ、koli太郎から毎日送られてくるラインだけれど、最近、ラインの通知の音が鳴るとkoli次郎がお風呂のボタンを押すようになったの。知らなかったでしょ。
 koli太郎は黙って聞いています。
 ママは、朝4時に起きるけれど、たまにkoli次郎も起きてくるでしょ、一緒に。たまにだけれど。朝、koli太郎が出発した後に起きてきた時は、koli次郎がっかりして「にぃにぃ(koli太郎)に、行ってらっしゃい言えなかった」って言うの。
 それにね、お買い物行ったとき、koli次郎におやつを買ってあげようとするでしょ。すると、必ず「コレはにぃにぃ(koli太郎)の分。コレはねぇねぇ(ちびkoli)の分。」って3つ買うの。
 koli太郎もちびkoliも知らないかもしれないけれど、koli次郎はkoli次郎なりに伝わらないかもしれないけれどkoli太郎とちびkoliを応援しているの。
 でもね、まだたった5歳だから、夜2人が勉強していても、ただ一緒にいたくて部屋に行ってしまうんだな。


こう話すとkoli次郎が言いました。
「ボク我慢できるよ。にぃにぃ忙しいし、頑張ってるんでしょ」


koli太郎だまってます。けれど、一生懸命に考えています。
「パパやママや、先生や周りの人に気がつかないところで思いやられてるってコトを考えろってこと?」
いやいや。例えばね。母はkoli太郎にしてあげたことをkoli太郎に思いやりで返してくれって言ってるんじゃないんだな。ぽんぽん山のみんなも、思いやってくれた相手にお礼も言っていなければ、返してもいないのよ。でも、いいお話。それはね、思いやりがつながっているからだと思うよ。
 誰かにいただいた思いやりを、今度は自分が気がつくことの出来た思いやるべき相手に返しているから。koli太郎やちびkoliが受けたたくさんの思いやりを、今度は自分が気がつくことのできた「思いやるべき相手」に返してあげてね。


 そうお話ししました。そして、koli次郎もたくさんの思いやりを大好きなにぃにぃとねぇねぇに渡しているということも。


思いやりの連鎖の中にkoli太郎、ちびkoli、koli次郎があることを心から願いました。


後日談(といっても先ほどですが・・・)
今朝、koli次郎は朝5時に「間に合った!」と慌てて起きてきました。にぃにぃは既に玄関にいます。「気をつけてね。行ってらっしゃい♪」とkoli次郎が母の真似をして言うと、koli太郎は何と答えたか。
「ありがとう、行ってきます」とkoli次郎の頭を撫でました。その時のkoli次郎の顔と言ったら、笑。その後、koli次郎は満足気に居間のソファで爆睡していました。

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ぼくがおっぱいをきらいなわけ

ぼくがおっぱいをきらいなわけ (絵本のぼうけん)
ぼくがおっぱいをきらいなわけ (絵本のぼうけん)
ポプラ社


あらすじ
ボクはおっぱいがきらいです。
ボクがその訳を語ります。


下に妹が生まれたボク。おっぱいがないと眠れないなんて赤ん坊のすることだと甘える妹を見て言い放ちます。
それに、おっぱいがあるせいでママはお風呂に入る時間が長いのに違いない!とか、着替えが大変なのに違いない!とか考えたりします。ママはボクを抱きかかえて体を洗ってくれるのですが、ボクは息が苦しくなり窒息するかもしれないと考え「おっぱいはきけんだ!」と断言。さらに、パパのおっぱいには毛が生えているから嫌いです。


お風呂上がり、ボクは飼い猫が子どもたちにおっぱいを飲ませているのを見て「そんなふうに甘えられるのも、妹か弟が生まれるまでだぞ」と語りかけます。


その瞬間、ゴツンと壁に頭をぶつけるボク。
泣くのを我慢したけれど、コブが出来てしまいました。我慢しながら、妹を寝かしつけるママの所に行くとママは「イタイのイタイのとんでいけ」と優しく抱きしめてくれます。


そしたら、おっぱいは温かくて、優しくて。
今までせっかく我慢していたのに「わーん」と泣きじゃくるボク。
そして、言い放つのです。
「だから、おっぱいがきらいなんだ」と。

思い出
 koli太郎が一歳半を過ぎた頃、ちびkoliが生まれました。今まで独占していた私の膝でしたが、koli太郎は「あーちゃん」と妹のことを呼び、とてもかわいがってくれました。
自分のことを「にぃにぃ」と呼び、「お兄ちゃんになれたのが嬉しい!」を全身で表現して、とてもかわいかったのを覚えています。
 koli太郎は、夜眠る前の読み聞かせが大好きでした。けれど、私ときたら夜泣きするちびkoliで手がいっぱい。koli太郎を寝かしつける頃には、自分が眠くて眠くて。
「今日はごめんね。ママ疲れちゃった」
と言い訳する日が続いていたような気がします。


 そんな日が続いていた頃、ちびkoliの乳児検診がありました。
 小さなkoli太郎も預ける場所がなく、仕方なく一緒に連れて行きました。会場では保健婦さんが小さなお兄ちゃん、お姉ちゃんを有り難いことに預かってくれます。いつもなかなか私と小さな妹から離れないkoli太郎でしたが、読み聞かせをしてくれるということでニコニコと保健婦さんについていきました。
 さて、いつまでもつかなぁ・・・・と思っていた私。
けれど、最後までkoli太郎は私の元には戻ってきませんでした。
どうしたのかなぁ?とちびkoliを抱っこして、お迎えに行くと『ぼくがおっぱいをきらいなわけ』を、みんなで読み聞かせしてもらっているところでした。私も後ろに座り、一緒に読み聞かせを聞きました。
 最初は楽しかったのに、飼い猫の子ねこに向かって「そうやって甘えられるのも妹か弟が生まれるまでさ」とボクが言うシーンでは、何だかkoli1太郎の本音を聞かされているようで、胸がチクチク痛みました。そして、ママの胸にぎゅっと抱っこされて「わーん」と泣きじゃくるボクの挿絵を見て、koli太郎の心の声を聞いた気がしました。
 自分のことを「にぃにぃ」と呼び、自分で自分を励ましていたに違いないkoli太郎。横目で羨ましく私とちびkoliを眺めていたかもしれない瞬間を思いました。
 私は「にぃにぃ」の兄として頑張ろうとする気持ちに、甘えていたのだと思います。たった2歳になるかならないかの息子に。
 帰り際、koli太郎に聞きました。「さっきの絵本好き?」するとkoli太郎はニッコリして答えました。「しゅき。」
「ママのこと好き?」
「しゅき」
「あーちゃんは?」
「しゅき」
「・・・・ママとぎゅってしたい?」
「した~い♪」
チャイルドシートにちびkoliをのせると、koli太郎をぎゅっと抱きしめました。
小さな小さな「にぃにぃ」は、もっと小さな妹が大好きで、たくさん我慢して、たくさん譲って、たくさん切ない思いを押し殺し、甘えたい気持ちを抑え込み。
その小さな心にたくさんの想いを抱えていたのに気づかされた私。その晩から、どんなに疲れていても、読み聞かせの時間だけは「にぃにぃ」を優先して読むことに決めました。
「にぃにぃ」のその優しさは今も変わらず。
母を思いやり、妹を思いやり、家族を優しく勇気づけてくれる頼もしい兄として成長してくれています。
後日談
パパとお風呂に入ったkoli太郎。
パパのおっぱいの毛を引っ張って怒られました。
やっぱり「毛の生えたおっぱいは嫌い」みたいです(笑)
後後日談
「ショックだわ~」と高校生になったkoli太郎。
「どうしたの?」と母。
真顔で「おっぱいに毛が生えた・・・・」。爆笑。

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わたしのせいじゃない

わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)
わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ6)
岩崎書店

あらすじ


あるクラスで休み時間に事件が起こります。男の子がみんなの前で泣いています。みんなが話しています。


「学校のやすみじかんに あったことだけれど わたしのせいじゃないわ」


「はじまったときのこと みていないから どうしてそうなったのか ぼくはしらない」


「おおぜいでやっていたのよ ひとりではとめられなかった わたしのせいじゃないわ」


「おおぜいでたたいた みんなたたいた ぼくもたたいた でもほんのすこしだけだよ」


「はじめたのは わたしじゃない ほかのみんながたたきはじめたのよ わたしのせいじゃないわ」


「自分のせいじゃないか その子がかわっているんだ ほかの子はみんな ふつうなのに」


「考えることがちがうんだ ぜんぜんおもしろくないんだ 自分のせいだよ」


「先生に いいつければいいのに よわむしなのよ わたしにはかんけいないわ」


「たたいても わたしは へいきだった みんなたたいたんだもの わたしのせいじゃないわ」などなど。


最後に


「・・・・私のせいじゃない?・・・」の問い。


そして、説明のないモノクロの写真が続きます。


★原爆のキノコ雲


★飢餓で苦しむ子ども


★紛争に巻き込まれ傷つき兵士に抱かれる小さな子


★タンカーの重油にまみれた海鳥


★ゴミの埋め立て地


★少年兵

絵本の思い出
この本は、私の絵本でした。大人になって購入したのですが、koli太郎といっしょに読んだのは、中学校3年生の春。
何かが響いたのでしょう。私の本棚からこの絵本を抜き取り、夕食の席に持ってきました。
「これ、どう思う?」
どう思うって、何を聞いているのかなぁ。
すると「私のせいじゃないワケないと思うんだよ」と。
koli太郎曰く、いじめをする人はもちろん悪いけれど、それを黙ってみたり、笑ったりして赦される雰囲気を作っている人も悪い!むしろ、「わたしのせいじゃない」って思ってる分絶対罪は重い、と言うのです。
「ぼくは、小さい頃ヒョロヒョロでいじめられてたでしょ。そのとき、いじめられる方にも理由があるって言った人がいたんだよね。すごく、中立みたいな顔して。全然中立じゃないっつーの。むしろ、いじめてるでしょって思ってた。」とのこと。


相当悔しい思いが蘇ってきたのだね。
母は、koli太郎の話に興味津々。「うん、うん。」と頷きながら話を聞きます。とても難しい本だけれど、彼なりに何か引っかかって考えたから、話したくて仕方ないのでしょう。


話はどんどん壮大になっていきます。
「戦争だってさ、戦争してる国は悪いけれど、使う武器を売って設けてる国だって悪いよ。飢えて死ぬ子どもだって、ぼくは知り合いでもないけれど、でも、無関係だっていうのは違うと思うんだ。だれかが、助けようって思わなくちゃ。「関係ない」って考えるのは、何か納得いかないんだよ。」と。


・・・・・・・。どうしたkoli太郎?こういうのが、中学生の正義感?
絵本の中の出来事が、すっかり「自分事」になっています。


「でも『いじめ』も『戦争』もおそらく無くなることはないんだろなぁ」と話し始めました。みんなが「悪い」って分かっていても、なくすことが出来ないもの、と。
うーんっと悩むkoli太郎・・・・。1人悩みの溝に落ちてしまい、「勝手に」答えの出ない問題に悩んでいます。


母はとても嬉しくなりました。なぜなら、私も同じような気持ちになり、答えがよく分からなかったもので、絵本を購入し、「いずれ、分かるときが来たら分かるだろう」と放っておいた本だったからです。今がその時なのかも、と思いました。


それで、私も一緒に悩んでみました。「火事ってきっと、無くならないよね。なのに命をかけて消火活動してくれる消防士さんや消防団の人がいるじゃない?」と話してみました。
極端なことを言えば、火事はなくならないのだから、いっそ、命をかける必要があるのだろうか?警察官だって、国連だって、「無くせない」と分かっている何かに取り組んでいるわけです。生徒会が『いじめ撲滅』に取り組むのだってそう。


koli太郎は、言いました。
「なくならないって分かっていても、なくしたいって思うから努力するんだよ。」


みんなの、誰かの幸せを妨げるモノを無くしたいって思い。
事故ではなく、故意に悪意を持って、いや悪意すら持たずに誰かを傷つけてしまうことは多々あります。
私にも覚えはあり、悪意がない時ほど、私はとても傷つきました。なぜなら、相手が私が傷つくことを全く理解していなかったと言うことが、はっきりと分かってしまうから。
こんな時って泣くに泣けない・・・。


でも、大げさな話ではなく、koli太郎が言うように、「なくしたいって思うから努力する」ことをあきらめたら、いかんなぁと思いました。私も逆の立場で人を無自覚に傷つけ、幸せを損ねたことがあったかも。いや、あったにちがいない。


きっと人を不幸にする出来事はなくならないけれど、それをなくそうと小さな努力を積み重ねる人の想いに気がつくことの出来る私でありたいと強く思いました。


koli太郎は、さらに言いました。
「でもね、赦すって必要だと思うんだよ」
と。
「辛くて悔しい思いしてもね、自分がずっとそう思ってたら、幸せじゃないから」
と。


今現在、この出来事を思い出すと「赦す」という言葉が、母の胸に突き刺さります。
「赦す」・・・・。


私は最近、ある出来事があり、気分が沈み、体調不良が続き、もう温かい気持ちで記事は書けないのではないかと思っていました。
「赦す」・・・・。


koli太郎との会話を思い出し、立ち止まります。
「幸せ」になる・・・。


私にとって「赦す」ことは、今すぐには難しそうです。けれど、その行為無くしては私の「幸せ」はないのは事実かもしれません。


「赦す」という言葉に、ひどく動揺してしまいます。
私も、多くの人に自分が気がつかないところで赦されてきたのではないか?
もし、そうだとしたら、私が「赦す」努力をすることが出来ないと拒否してしまうことは、自分の人生を恐ろしくつまらないものにしてしまうのではないか?


過去の一瞬の、たかが「絵本」を通しての息子とのやりとり。
あの時は絵本の中身を息子よりは理解していると勘違いし、私の人生に突き刺さりはしなかった絵本。
けれど。
けれど、もしかしたら、その一瞬の会話は、今の私の生き方を支える大きな意味のある一瞬だったのかもしれない。


母は、いまだに悩んでいます。
前に進めないまま、立ち止まり、あの一瞬を振り返っては、ため息をついています。
「赦す」・・・・。

子どもたちに幸せの記憶をおくろう

                                                                

★しばらくお休みしておりましたが、ゆっくり再開しようと思います。
 再び、よろしくお願いします(o_ _)o  by kolibri



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