絵本の時間

幼い頃、読んでもらった絵本。内容はおぼろげになった本もありますが、忙しかった両親が寝る前に読み聞かせをしてくれる、短いけれど温かい時間は、一生の宝物です。そんな記憶を綴り、自分の子どもたちにも幸せの記憶を贈りたいと願うブログです。

こねこのぴっち

こねこのぴっち (岩波の子どもの本)
こねこのぴっち (岩波の子どもの本)
岩波書店


あらすじ
 ぴっちは、リゼットおばあさんの家で飼われているマリとルリの5匹の子ねこのうち、一番小さくて変わった子ねこ。飼い犬のベロが心配そうに見ています。なぜかというと、他の4匹の子ねこたちは毛糸にじゃれたり、箒によじ登ろうとしたり、元気いっぱいに遊んでいるのに、ぴっちだけは1人カゴの中で考え事をしているからです。
 ぴっちは、他の子ねこのようと同じように遊びたいとは思いません。まったく別のことがしたかったのです。ぴっちは1人、うちを出て行きました。
 外の世界でぴっちはいろんな動物に出会います。ヒヨコとめんどり母さん。歩き方のりっぱなおんどり父さんの真似をしてエサをつついてみたり、二本足で歩いてみたり。「ぼくもりっぱなおんどりになりたいな」
けれど、おんどり同士のケンカを見て、
「こんなことなら、おんどりになるのはやめた」
と、逃げ出します。
 さらに、やぎ、あひる、うさぎになろうとしますが、失敗。
最後はずぶ濡れになって、ウサギ小屋に閉じ込められてしまいます。
「にゃおにゃお」
と呼びますが、誰も気づいてくれず、怖い思いをしますが、犬のベロがおばあさんを起こしてくれて、助かります。
 しかし、ずぶ濡れのまま怖い思いをしたぴっちは、重い病気になってしまいました。


 おばあさんの温かい看病や、今までであった動物たちのお見舞いと優しい心遣いのお陰で、少しずつぴっちは元気になりました。
 ベロが押してくれる乳母車で外に出られるようになったぴっち。他の動物や兄弟たちは、ぴっちの笑顔が見たくて、何かしたいと思い、「おいわいのかい」を開催してくれました。


 元気になったぴっちは、もう子ねこ以外の何にもなりたいとは思いませんでした。


絵本の思い出
 今年のGW。わが家では大事件がありました。ちびkoliが「学校に行きたくない」宣言をしたのです。
 久しぶりに全員がそろった夕食、珍しくおしゃべりなちびkoliが大人しくて、気にはなっていました。けれど、突然「学校に行きたくない」と言ったっきり、「わーん」と大声で泣き出した娘に唖然。
 正直に申しますと、ちょっとしたいざこざはありましたが、娘ちびkoliは私とは異なり、お友達に恵まれ、今までお友達関係に悩んだコトなんてなかったのです。親が知っている限りは。どちらかというと、悩んでいる友だちに頼られ、意見を求められ、本人は気がついていませんでしたが、お友達関係では大切にしてもらっている恵まれた存在でした。
 聞けば、小学校以来仲良しだったAちゃんとKちゃんと3人でクラスの係をするようになったのだけれど、2人は中学生になってから、ちびkoliを除いて2人で行動することが増え、係の仕事もちびkoliに押しつけて何もやらないのだと言うのです。
・・・いつの時代も女3人って難しい。
それに、中学生の女子ってトイレも教室移動も、固まって移動みたいな雰囲気があり、グループに所属せずに1人で行動していると恥ずかしかったり、切なかったり、挙げ句の果てにはかわいそがられてしまって、嫌な気持ちになったり。
あぁ、そういうことかぁ。母は思いました。


「なんで、私のこと避けてるのかわかんない。」
「最初AちゃんはKちゃんのこと無視しようって言ったのに。ちびkoliは『嫌だ』って言ってKちゃんのこと守ったのに。なんで、私がこんな思いしなくちゃいけないの?」


大人から見れば、小さなこと。けれど、たった十数年しか生きていないちびkoliにとっては大問題だったのですね。
ひとしきり泣き終わるまで、家族全員フリーズ。とにかく、シーンとしたダイニングでちびkoliが泣くのを見ていました。
koli次郎も悲しそう。何だか分からないけれど大好きなお姉ちゃんが泣いています。
koli太郎は怒っています。「ちびkoli何も悪くないじゃん。オレ先生に言ってやろうか?」


ぱぱkoliは言いました。「それってちびkoliの本当の友だちなのかい?」
・・・・・・。


夜、「こねこのぴっち」を持って、ちびkoliの部屋へ母は行きました。
布団に頭まで隠れてしまっているちびkoliに読んで聞かせたかったのです。


お話をした後「感想は?」と聞くと「別に・・・。」
どうも怒っているらしい・・・・。だれも分かってくれないことに怒っているのかな。


母は、なるべく落ち着いて話しました。
 ぴっちは、ずっと兄弟と同じになれない「自分」を感じてた。だから、ほかの何者かになろうと外の世界に出て行くけれど、結局自分以外の何者にもなれないし、ならないと決めたのね。外でであった動物たちは素晴らしいけれど、病気になって戻ってきたとき、おばあさんも、「自分とは違う」って感じてた兄弟たちも、温かくて、優しくて。そういう関係の中に生きていた「自分」に気がつくのね。だから、ぴっちは「自分」であることが一番幸せだって思ったんだと思う。
 ちびkoliは、係の仕事を誰かに押しつけるのは嫌で、だれかを仲間はずれにするのも嫌で、自分の思ったとおりに行動したのでしょ。けれど、自分らしく振る舞った結果、相手に理解されなくて苦しい思いをしているんだよね。でも、ちびkoliは、他の誰かにはなれないんだな。ちびkoli以外の誰かにはなれないでしょ。
 それに、ちびkoliが泣いたとき、自分のことではないのに、koli次郎が一緒に悲しくなったり、koli太郎が怒ったり。ちびkoliのこと、全部は分からないけれど「寄り添いたい」って思ってくれる兄弟がいる。お話ししてくれるパパがいる。みんな、ありのままのちびkoliが大好きなんだよ。
 学校ではどうなの?だれも、困っているちびkoliを助けてくれる人はいないの?
「・・・・いる。『大丈夫?』『一緒に行こう』って声かけてくれる人。たくさんいる。」
その人たちは、きっとちびkoliのつらい気持ちに気づいてくれたんだね。できれば、ちびkoliのために何か行動したいって思ってくれたんだよね。それって、すごいことだと思わない?そうやって、自分らしくしていても、周りに思いやってもらえる「自分(ちびkoli)」だってことがステキだわ。そういう温かい関係の中にいる「ありのままの自分」に気づいて欲しいなぁと思う。
 お互いに辛いときに寄り添ったり、率直にだめ出しできたり。「その人のために」行動できてしまう関係って、とても幸せなことだと思わない?「自分らしくない自分」でいなくちゃいけない関係は、決して幸せなコトではないと思うの。


ちびkoliはだまっていました。


そして、ポツリ。「私は私らしくしていていいの?」と。


そして、「でも本当の自分がよく分からない・・・いいな。ぴっちは。」


今、ちびkoliはAちゃん、Kちゃんともお話はするけれど、「幸せな関係」の友だちの存在に気づき、毎日学校に通っています。ぴっちが役に立ったのか、立たなかったのか。でも、私の本棚の「こねこのぴっち」は、今ちびkoliの本棚にあります。
ちびkoliの「自分」探しは、まだまだ続いていくのでしょう。「自分以外の何者でもない自分」を探して、少しずつ大人に近づいていくのだなぁと感じています。


後日談(おまけ)・・・・
 koli次郎はたった5歳ですが、大好きなお姉ちゃんが泣いたことが、よほどショックだったのでしょう。ことあるごとに、お姉ちゃんの顔をのぞき込み、「しわよせ?」と聞くようになりました。ん?「しわよせ」って何?
  分からず、みんな「うん、そうそう」なんて流していたのですが、最近になってようやく何が言いたかったのかわかりました。
「幸せ?」と聞きたかったようです、笑。



こどもたちに幸せの記憶をおくろう!

                                                                                                   


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