絵本の時間

幼い頃、読んでもらった絵本。内容はおぼろげになった本もありますが、忙しかった両親が寝る前に読み聞かせをしてくれる、短いけれど温かい時間は、一生の宝物です。そんな記憶を綴り、自分の子どもたちにも幸せの記憶を贈りたいと願うブログです。

大きな木~THE GIVING TREE~

今日の絵本

おおきな木
おおきな木
あすなろ書房

あらすじ
一本のリンゴの木が主役の絵本。木は子どもが大好きでした。子どもも木のことが大好きでした。子どもは木のそばで遊び、ぶら下がり、リンゴの実をほおばります。木はとても幸せでした。でも子どもは、どんどん成長します。そして、大人になると木に会いに来なくなり・・・・。寂しいリンゴの木。大人になった子どもが会いに来たときに「お金が欲しい」と言います。木は、自分のリンゴを全て与え、お金に換えるように言いました。子どもはそのとおり、実をすべて持って行ってしまいます。木はとても幸せでした。また、壮年になった子どもが家を建てたいと言ったときには、自分の枝を与え、最後に船が欲しいといった子どものために、自分を切り倒すように言います。切り株だけになってしまったリンゴの木は、それでも嬉しかったのです。
 年老いた子どもがやって来たとき、木は、何も与える物がなくなったことを告げますが、子どもは座って休みたいと言います。ただ、黙って子どもが座ってくれたとき、木はとても嬉しかったのです。

絵本の思い出
 小さな頃、母がこの本を自分の本棚に置いていました。母は、保育士。本当に忙しくて、当時は私が目の覚める前に登園し、夕飯を食べ終わる頃に帰ってくる生活をしていました。母のいないぽっかりと空いた仕事部屋。でも、母の匂いのする部屋が、私は大好きでした。「大きな木」の本は、母の仕事関係の本とは別に、並べてありました。ぎゅうぎゅう詰めの書棚の中で、この本の並べてある段だけがいつも整理整頓がされていて、きっと母にとって特別な空間だったのだと思います。
 母はなぜ、この本を大切にしているのだろう?小さかった私は、全くもって理解不能でした。なんて、わがままな子どもだろう。なんて身勝手な子どもだろう。木は、お人好しすぎると、子どもながらに感じました。
 今、母になり、たくさんの人と関わる中で、私の母がなぜこの絵本を大切にしていたか、分かってきた気がします。年老いた母は、幸せな気持ちでいてくれるのだろうか、そんなことも考えます。
 与える喜び、育てる喜び、無償の愛について考えます。母のように。私は、自分の子どもたちに見返りを要求しようとは思いません。思わない自分でありたい。また、周りの人に優しい自分でありたい。お人好しと言われても、甘いと叱られても、自分に出来る小さなコトを喜びと感じられる生き方をしたい。そう思います。理想ですがね(*´∀`*)。今の私は、子どものように誰かに一方的に何かを求めていたりはしないだろうか?特に、母に。でも、それは、もしかすると年老いた母にとっては喜びなのかも知れません。だから、私に対する無償の愛に気づくことの出来る自分でありたいとも思います。感謝の心を忘れずに・・・。こうした、無償の愛と感謝の関係は、きっと私たちの生き方を楽にしてくれるはず。
 本当の豊かさとは、こういうことではないのかしら?と思います。本当の幸せとは、誰かに評価されたり、うらやましがられたりすることではなく、こうした関係の中にあるのではないかしら?と思います。


 一握りの誰かの記憶に残る優しい種をまくことが出来たなら、私はとても幸せです。この記事を読んでくださっている方々に、心から感謝を。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます人´∀`).☆.。.:*
「子どもたちに幸せの記憶をおくろう」


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