絵本の時間

幼い頃、読んでもらった絵本。内容はおぼろげになった本もありますが、忙しかった両親が寝る前に読み聞かせをしてくれる、短いけれど温かい時間は、一生の宝物です。そんな記憶を綴り、自分の子どもたちにも幸せの記憶を贈りたいと願うブログです。

100万回生きたねこ

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)
100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)
講談社

あらすじ
「ねこ」はいつだって「百万回死んでは生き返った」ことを自慢にしています。その「ねこ」が白いメスねこと出会いました。周りのねこたちとは異なり、白いねこは「ねこ」の話に驚いたり、感心することはなく、「そう」と反応します。「ねこ」はこの白ねこが気になり、結ばれ、子ねこが生まれます。2人で子育てをして、「ねこ」は100万回生きても今まで知らなかった、かけがえのない時間を過ごします。
 子どもたちが巣立ったあと、2人で過ごす「ねこ」と白ねこ。ある日白ねこは「ねこ」の隣で動かなくなっていました。「ねこ」は泣きます。泣いて泣いて、翌朝動かなくなっていました。そして、二度と生き返ることはありませんでした。

絵本の思い出
 一生にだた一度の恋というモノはあるのだろうか。これ、koli太郎の言葉。
中学生になってその時々「〇〇ちゃんがかわいい!モテる」なんて、笑いながら話していることがあったけれど、こんな質問初めてだ!突然どうした?( ・_・;)
 中学生の息子と母がこんな「恋バナ」を繰り広げているなんて、誰も信じてくれないかも。けれど、koli太郎は本気で悩んでいるらしい。どうも好きな子が、しかも「これが恋」と信じられる好きな子ができたのだ。母としては複雑、笑。
 母は、自分が小さい頃出会った絵本「100万回生きたねこ」を思い出した。
「読んでみなよ」というと、「知ってるよ。最後ねこが動かなくなって死んでしまう話でしょ」とそっけない。そうなんだけれどさ・・・。
 母が、息子に話す話かは分からんけれど、初めて自分の思いに向き合った息子に人として向き合おうと心を決め話したこと。
 「好き」とか「愛している」という気持ちは、その時はいつでも本気だと自分では思っているモノ。けれど時間がたつと、また他の人を好きになり、「これこそ一生に一度の恋だわ」なんて思ってしまう。まったくもって、人の気持ちなんて。
 「ねこ」は100万回生きたけれど、「本当の恋」を知らずに、ただ過ごしてきた。それを「生きてる」って言うのだろうか?白ねこと過ごした「ねこ」にとって一瞬の時間は、きっと永遠だったのだ。それこそ、かけがえのない時を過ごし、「生きた」のだ。もう、「ねこ」は再び生き返ることはしなかった。それは、その必要がなかったから。生き返ったとしても、白ねこなしでは「生きる」ことはできないのだから。
母になり、子どものいる私が「恋」を語るのは、どうだろう?と思いながら、かみ砕いて一生懸命話しました。


 koli太郎からの質問。
「それじゃ、ママはパパのこと本当に好き?ママはかけがえのない時を今生きてる?」
母「・・・・・・・・。」
これまた、難しい質問だなぁ。でも、ソレって最後の最後に知ることの出来る答えかも。


 私とぱぱkoliは高校の同級生です。ずっと友だちだったけれど、「本当の恋だ」と思っていた相手とそれぞれつきあっており、その数々の汚点も知る仲です。もちろんすべてをkoli太郎には話せないけれど。あはは。


 大学生の時は、やはりそれぞれいろんな「本当の恋」だと思った相手と数々おつきあいをし・・・。就職をして、何年後かに再会したその日にプロポーズされました。冗談かと思ったけれど。


 この年齢になってもよくわからないけれど、「本当の恋」は、意外に静かに、意外に身近に、意外に突然に、けれど時間をかけてやってくるモノなのかもしれません。


 ぱぱkoliは短気です。そして、結構怒りっぽい。独占欲も強いし、野心家でもある。ぱぱkoliは情にもろく、損をすることも多いタイプですが、愛されるキャラクターです。いつもドラマ見て、泣いているぱぱkoliに「はいよっ」と私がティッシュを渡します、笑。


 私は脳みそがどうも男性で、おおざっぱでざっくりです。決断が早くて失敗もあるけれど、いつまでも気にしないタイプ。行き当たりばったり、なるようになるさ人間。さらに超合理的。私は人の前にたってリーダーになることが多く、どちらかというと人の上に立ってしまっているタイプ。よく姉御肌と言われます。自分で言うのも何なのですが、いつの間にか人を従えて理屈で屈服させてしまっていることが多かった。だから、女友達は少ない。今続いている友だちも片手で足りる。・・・その私を、唯一怒って正すことのできる存在がぱぱkoliだったのですね。


 気づいたら、お互いそこにいました。
 気づいたら唯一無二の大切な存在になっていました。プロポーズされるまで、お互い「愛してる」なんて思ったことは多分ない。というか異性として意識していなかったと言うべきか?
 気づいたら、一緒に「かけがえのない時」を刻んでいた?
 うーん。謎。
でも、プロポーズされたときに思ったのは、「この人なしの人生は、きっとつまらないものだろう」ということ。ぱぱkoliは、「久しぶりの待ち合わせの時間について電話で話しているときに、突然毎日会いたい」と思ったんだそうな。なんででしょうね。


一瞬の間に、頭の中をぱぱkoliとの今までがかけめぐり、
koli太郎に答えた言葉は「・・・パパと生きてる」でした。


うーん。まだkoli太郎にどうやって話したらいいのか分からないけれど、いつか話せるといいなと思っています。だから「100万回生きたねこ」は、私の宿題。koli太郎が本当に「かけがえのない時」を誰かと歩みたいと思ったときに、また、話したいなぁと感じました。

子どもたちに幸せの記憶をおくろう

                                                                           

今回はとても悩みながら書いた記事なので、とても長くなってしまいました。
最後までおつきあいいただいて、ありがとうございます人´∀`).☆.。.:*ありがとぉ


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